天照大神の「正体」論を落ち着いて検証する

最近よく見かけるのが、「天照大神は実は大工である」「天照大神はイエス・キリストと同一だ」「皇室は近いうち京都に戻る」といった話が、一本の線でつながって語られるパターンです。刺激が強いほど拡散されやすいけれど、拡散の速さと裏づけの強さは別物です。

僕はこういう話を、最初から“嘘”として切り捨てる気はありません。なぜなら、神話や儀礼はもともと「言葉にしにくいこと」を象徴で伝える文化で、そこに現代人が勝手に意味を足してしまうのも自然だからです。

ただし、自然だからこそ、確認できるところは確認する。確認できないところは、確認できないまま置く。その順番を守るだけで、都市伝説は「怖いもの」ではなく「考える材料」に変わります。

この記事では、話の核になっている要素を、皇室と京都の現実、天照大神の位置づけ、葵祭や岩戸神話の基本、そして言葉遊び(語源)に分けて、まとめ直します。

この説は「3つの話」を束ねている

一つ目は「皇室の警護が慌ただしい」「京都回帰が近い」という“現在の動き”の話。二つ目は「平安京や下鴨周辺には結界や古い儀式の設計がある」という“土地と儀礼”の話。三つ目は「天照大神=大工=イエス」みたいに、神話を“別の宗教の物語”へ読み替える話です。

ここで一番大事なのは、3つの話はそれぞれ性質が違うことです。警護や皇室の居所は公的情報の領域。祭りや神話は歴史と信仰の領域。宗教同一視や語源遊びは解釈の領域。性質が違うものを混ぜると、全部が“確からしく”見えてしまいます。

だから僕は、混ぜる前に分けます。分けたうえで、つながる部分が本当にあるのかを見ます。

「工具警察」「京都移転」の噂

まず「工具警察」という言い回しですが、これは正式名称としては確認できません。近いものとして公的に存在するのは、皇室の護衛と皇居・御所などの警備を専門に行う皇宮警察本部です。警察庁の公式ページでも、皇居だけでなく京都御所なども任務範囲に含むことが説明されています。つまり「京都を警備する部署がある」のは事実です。

次に「天皇が東京から京都へ戻る」という噂。ここは、少なくとも宮内庁の公開情報として“近く戻る”という発表は見当たりません。一方で、京都御所が歴史的に天皇のお住まいであり、現在も行事や国賓接遇などで使われている、という説明は宮内庁が明確に出しています。1869年に明治天皇が東京へ移られるまで長く京都が中心だったことも、宮内庁の参観案内で説明されています。

さらに「首都がどこか」という話になると、日本には実は“首都を定める法律がない”と、参議院の法制局の解説で整理されています。東京が首都だという認識は一般的だけれど、法律で一文決めているわけではない、という話です。

ここまでをまとめるとこうです。皇室や御所を警備する専門組織は確かにあり、京都御所も皇室にとって重要な場所で、行事でも使われ続けている。ただし「近々、京都へ戻る」という確定情報は、公的には確認できない。この段階で、噂は噂として置くのがいちばん安全です。

天照大神は「大工」なのか

天照大神について、公的・公式に確認できるラインはまずここです。伊勢神宮の内宮(皇大神宮)は、天照大御神をお祀りする神社だと公式に説明しています。さらに、天照大御神は「皇室の御祖神」とも記されています。
宮内庁も、皇居内の宮中三殿の一つ「賢所」に皇祖天照大御神がまつられていると説明しています。
つまり、天照大神は日本神話体系の中心であり、皇室祭祀とも結びつく存在として扱われている。ここはブレません。

では「大工」「工人」につながる要素はゼロなのかというと、そうでもありません。岩戸神話では、岩戸から天照大神を出すために、鏡づくりなどの“ものづくり”が重要な役割を担います。国学院大学の神話データベースでは、鍛人(かぬち)として鏡づくりに関わる存在として**天津麻羅(あまつまら)**が整理されています。
天津麻羅は天照大神そのものではなく、神話の中で儀礼用の製作に関わる“鍛冶の神”として別枠です。

つまり「天照大神=大工」という話は、多くの場合、神話の中にいる“工人側の神”を、天照大神に重ねてしまう取り違えが混ざります。ものづくりの神々が重要であることと、天照大神が職業として大工であることは別です。ここを分けないと、いくらでも話が膨らみます。

岩戸神話や葵祭を「復活」に読む

岩戸神話を「死と復活」に見立てる読み方は、象徴としては分かりやすいです。洞窟=墓に見立てる発想も、人間の想像としては自然です。けれど、それをそのまま「キリスト教の復活と同じ儀礼が日本に残っている」に直結させるには、慎重さが要ります。

まず葵祭(賀茂祭)について、公的に確認できる基本はシンプルです。上賀茂神社の公式説明では、賀茂祭は欽明天皇の御世に起源がさかのぼるとされ、国家安泰などを祈る重要な祭儀で、「葵を飾り、葵を身につける」ことから葵祭とも呼ばれる、と説明されています。
下鴨神社側も、葵祭が下鴨・上賀茂両神社の例祭であることを案内しています。

ここから「イエス復活の祭礼」へ飛ぶためには、歴史資料として、キリスト教側の儀礼・言語・文書が、どの時代にどの経路でこの祭礼へ入り込んだか、を示す必要があります。でも、その“橋”になる一次資料は、この手の主張ではだいたい提示されません。似ている、対応して見える、というのは読みとしては楽しいけれど、証明とは別物です。

僕の整理はこうです。岩戸神話や葵祭は、「隠れる/現れる」「穢れ/清め」「再生」といった普遍的テーマを扱うから、他宗教の物語と“似て見える”のは自然。ただし、似て見えることをもって「同一」と結論するのは飛躍が大きい。

INRI・ヤハウェ・語源遊び

この種の話で最後に出てくるのが、言葉の連想です。INRIの頭文字をヘブライ語に寄せてヤハウェへ結ぶ、ウズメや地名をアラム語・ヘブライ語へ寄せる、音が似ているから同根だ、といったやり方です。

ここは、歴史言語学の観点だと一番危険です。音が似るのは偶然でも起こります。まして、遠い言語同士(日本語とセム語など)をつなぐなら、単語ひとつではなく、音の変化の規則や、複数語の体系的対応、当時の接触の記録など、積み上げが必要になります。

僕はここを、いちばん「落ち着いて眺めるべき領域」だと思っています。言葉遊びは気持ちいい。気持ちいいからこそ、脳が“確定”と錯覚しやすい。でも証拠としては弱い。だから、語源で世界観を組むなら、最低でも「最古の用例」「同時代の記録」「研究者の議論」を押さえないと、強い物語ほど簡単に自分を縛ってしまいます。

まとめ

皇室警備については、皇宮警察本部という公的組織が存在し、京都御所なども警備対象に含まれることが公式に説明されています。京都御所も歴史的に天皇のお住まいであり、現在も皇室行事などで用いられていることが宮内庁の案内で確認できます。

一方で、「近々京都へ戻る」という確定情報は公的には見当たらず、首都についても法律で明記されていない、という制度面の事情があります。だから噂は噂として置くのが妥当です。

天照大神については、伊勢神宮や宮内庁の説明から、皇祖神としての位置づけが確認できます。「大工」や「工人」につながる話は、神話の中の“ものづくりの神”を取り違えたり、象徴の読みを確定事項にしてしまったりする部分が混ざりやすい。

僕の結論はシンプルです。日本の神話や儀礼は、象徴として読むと深い。でも、象徴の深さをそのまま歴史的事実にしてしまうと、一気に足元が崩れる。面白さを守るためにこそ、確認できる部分は固め、飛ぶ部分は飛ぶ部分として扱う。それがいちばん強い読み方です。

私見・所感

僕は「天照=イエス」のような話を、完全否定で殴る気にはなれません。人は、自分の世界観を一つに統合したい生き物で、神話を“翻訳”したくなる衝動も分かるからです。ただ、その統合が強いほど、反対の情報が入ったときに心が折れやすい。だから僕は、あえて“余白”を残します。

それに、天照大神や岩戸神話、葵祭のようなものは、史実の断定ゲームよりも、象徴として読むだけで十分に深い。深いからこそ、雑に混ぜると薄まってしまう。僕は、面白さを守るために検証をしたい側です。

最後に一つだけ。こういう話が流行るとき、たいてい背景に「今の時代が不安定」という空気があります。だからこそ僕は、不安に燃料を足す読み方より、落ち着いて確かめる読み方を選びたいと思っています。

参考にした文献

  • 警察庁「皇宮警察本部概要」:皇室の護衛と皇居・御所(京都御所含む)の警備を担う公的組織
  • 警察庁「皇宮警察本部の仕事」:警備対象に京都御所などが含まれることの公式説明
  • 宮内庁「京都御所(参観案内)」:京都御所の歴史的位置づけ(1869年までの居所など)
  • 宮内庁「京都御所」:現在も皇室行事等で使用される旨の案内
  • 参議院法制局コラム「首都を定める法律」:日本に首都を定める法律がないという整理
  • 伊勢神宮(公式)「正宮 皇大神宮」:天照大御神を祀り、皇室の御祖神とする公式説明
  • 宮内庁「宮中祭祀」:賢所に皇祖天照大御神がまつられているという公的説明
  • 國學院大學 神話DB「天津麻羅」:岩戸神話で鏡作成に関わる鍛人の整理(天照大神とは別枠)
  • 上賀茂神社(公式)「賀茂祭」:葵祭の起源・性格(国家安泰等)と葵の説明
  • 下鴨神社(公式)「御祭神・歴史」:葵祭が両神社の例祭であること、祭神などの公式説明

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