オールドメディア VS ニューメディア 情報の「見え方」と付き合い方を、もう一度ゼロから考える

オールドメディアはなぜおかしく見えるのか

テレビとネットの「あいだ」で迷子にならないために

「テレビとネットで、言っていることが全然違う」
「新聞ではほとんど触れられない話が、YouTubeでは当たり前のように語られている」

ここ数年、そんな違和感を抱いたことがある人は多いと思います。
とくにウクライナ戦争やコロナ、憲法や防衛費の話題になると、

  • 地上波と大手新聞の説明
  • YouTube や X(旧Twitter)、独立系メディアの説明

が、まるで別世界の出来事を扱っているように感じられる瞬間があります。

この記事では、オールドメディアがおかしく見える理由を、できるだけ落ち着いて整理したうえで、ニューメディアのメリットと危うさも含め、「私たちは情報とどう付き合えばいいのか」を考えていきます。

「正しく伝えること」と「国を混乱させないこと」のあいだで

テレビ局や新聞社は、本来「権力をチェックし、事実を国民に伝える」役割を持っています。
しかし現実には、それ以外の事情がいくつも乗っかっています。

一つはスポンサーです。
大手メディアの収入の多くは広告費から来ています。
巨額の広告費を出している大企業や業界団体を、真っ向から批判し続けるのは、経営的に見てかなり勇気のいる行為になります。

もう一つは、官庁や政治との距離です。
日本の大手メディアは「記者クラブ」という仕組みの中で、官庁や政党と日常的に情報をやりとりしています。
ここから公式発表や「オフレコ情報」が流れてくる以上、完全に対立関係にはなれません。
「空気を読む」文化が強い日本では、なおさらです。

そして忘れてはいけないのが、「国民をあまり不安にさせすぎない」「社会不安を煽らない」という名目での自己規制です。
これは一見、良いことのようにも聞こえますが、裏返すと、

不都合な可能性や結論の出ていない論点は、できるだけ触らずにおく

という習慣につながります。

結果として、オールドメディアが描く世界は、
現実よりも角が丸く、衝突の少ない「安全設計された現実」になりやすい。
それが多くの人にとっての「違和感」の源になっていきます。

ウクライナ戦争報道に見える「単純化のクセ」

ウクライナ戦争が始まった直後、日本のテレビと新聞はほぼ足並みをそろえて、

ロシアが一方的に侵略した
ウクライナは何もしていないのに攻め込まれた

という構図で報じました。
もちろん、他国に武力侵攻した責任が重いのは間違いありません。
しかし、「なぜそこまで関係が悪化したのか」という長期の流れの説明は、驚くほど少なかったのも事実です。

冷戦終結後、NATO が東欧に勢力を広げていった過程を振り返ると、
1990年前後の米ソ会談で

「NATO は一インチたりとも東に拡大しない」

という趣旨の発言があったのかどうかをめぐり、欧米とロシアの解釈が真っ向からぶつかっていることが分かります。

その後も、東欧諸国の加盟、ウクライナの政変、クリミア併合など、
少なくともロシア側に「包囲されている」という危機感が積み重なってきたことは、多くの研究者が指摘しています。

しかし、こうした経緯をきちんと説明しようとすると、

  • 「ロシアの言い分に肩入れしている」と叩かれかねない
  • 外交方針とも微妙にズレる

という理由からか、日本のオールドメディアは、あまり踏み込んだ報道をしてきませんでした。

その「空白」を埋めるようにして、YouTube や独立系メディアは、
NATO 拡大の歴史やアメリカの関与、2014年の政変などを丁寧に説明し始めます。

その中には真面目な国際政治の解説もあれば、
ロシア寄りのプロパガンダに極端に傾いた主張も混じっています。

ここで大事なのは、
「テレビが言わないこと=全部真実」という短絡を避けることです。
オールドメディアは削り過ぎ、ニューメディアは盛り過ぎ。
その両方を意識しながら、自分の頭で「中身」を見ていく必要があります。

コロナ起源をめぐる沈黙と、ニューメディアの暴走

新型コロナをめぐる情報空間も、オールドメディアのおかしさがよく出た例です。

当初の報道では、
「武漢の海鮮市場から自然発生的に広がった」という説明が事実のように扱われました。
一方で、「研究所事故」仮説は早い段階で陰謀論のレッテルを貼られ、まともな議論の場から追い出されます。

ところが、その後の WHO の調査や、アメリカの情報機関の評価を総合すると、
自然起源・研究所事故のどちらにも決定的な証拠はなく、

起源は依然としてはっきり確定していない

というのが、むしろ正直な結論に近いことが分かります。

さらに、経済学者ジェフリー・サックスは、
アメリカ側の研究資金と武漢研究所の研究をめぐる関係に、もっと光を当てるべきだと公に主張してきました。

ここで問われるべきなのは、
「どの国が悪いか」を最終決定することではなく、

オールドメディアが、こうした重要な論点をほとんど取り上げようとしなかったのはなぜか?

という点です。

その沈黙への不満や不信感を背景に、ニューメディア側では、

  • 論文や一次資料を読み込んだ丁寧な解説
  • 「全部計画されていたパンデミックだ」という極端な陰謀論

が同じ土俵の上で混ざり合うことになりました。

ここでも、「テレビが雑だからネットの極論が正しい」と飛びつくのではなく、
根拠の出し方や、反対意見の扱い方を、落ち着いて見た方が安全です。

郵政民営化・原爆投下。「触れたがらないテーマ」の影

日本国内に目を向けると、
オールドメディアには「できれば深掘りしたくないテーマ」がいくつもあります。

代表的なのが郵政民営化です。
かつて日本郵政グループが抱えていた郵貯・簡保などの資産は、300兆円を超える規模があったとされます。

この莫大な資金に海外勢がアクセスできるようにするため、
アメリカ政府や金融業界からの強い要望があったことは、
英語文献も含めて多くの資料が示しています。

しかし、当時の日本の報道は

  • 「民にできることは民へ」
  • 「改革なくして成長なし」

といったスローガンを繰り返すばかりで、
その裏で動いていた利害関係については、ほとんど説明してきませんでした。

原爆投下についても同様です。
「戦争終結を早めるため、やむを得なかった」という説明が、
長らく“正解”のように扱われてきました。

一方で、戦後の歴史研究では、

  • 日本側が既に降伏交渉を進めていた可能性
  • ソ連への牽制や、核兵器の実戦データを取りたい思惑

など、別の要因を重視する見解も増えています。

これらは決して「アメリカ憎し」だけの話ではなく、
歴史をより立体的に理解しようとする試みですが、
オールドメディアがここに本気で踏み込むことは、ほとんどありません。

「国民感情に配慮して」
「同盟関係への影響を考えて」
「炎上を避けるために」

理由は色々あるでしょう。
しかし結果として、私たちは長いあいだ、
薄められたストーリーだけを“現実”として教えられてきた ことになります。

世論調査と選挙報道 数字がつくる「物語」

選挙のたびに流れる「支持率」や「情勢調査」も、オールドメディアの弱点が出やすい領域です。

世論調査そのものには、統計的な手法があり、一定の合理性があります。
しかし実際には、

  • 電話調査にそもそも出ない人が多い
  • 若い世代ほど固定電話を持っていない
  • ネット調査では政治に強い関心を持つ人ほど回答しがち

といったバイアスが重なり、
数字は「国民全体の意見」ではなく、「答えてくれた人の意見」にすぎません。

それでも、ニュース番組は

「○○候補が優勢です」
「△△党の支持率が急落しています」

と、確定した事実のように報じてしまいます。

2020年のアメリカ大統領選では、
多くの世論調査がバイデン優勢を示していましたが、
実際の選挙は州ごとにかなりの接戦も多く、「大差」というほどではありませんでした。

このギャップが、「メディアはまた外した」「数字をいじっているのでは」という不信感を世界中で高めたのは確かです。

ニューメディア側は、
こうした不信感を受け皿にして、「世論調査は全部ウソだ」「選挙は全部不正だ」という極端な主張まで広げてしまうことがあります。

実際には、
調査にも選挙にも「限界」はありますが、それだけで全部が不正という証拠もありません。

大切なのは、

数字は「絶対の真実」ではなく、
誰かが作った一つの“物語”でもある

と理解したうえで、
どう使うかを自分で決めることです。

情報と付き合うための「ゆるい5ルール」

ここまで見てきたように、オールドメディアには構造的な問題があり、
ニューメディアには別種の危うさがあります。

そのうえで、私たちが個人としてできることは、それほど難しくありません。
ここでは、明日から使えるルールを、あえて文章の中でゆるくまとめてみます。

まず第一に、「一つのメディアだけ」に依存しないこと です。
テレビだけ、YouTube だけ、どちらか一方に世界観を預けた瞬間、そのメディアのバイアスをそのまま自分の頭にインストールすることになります。
面倒でも、たまに逆側のメディアも覗きに行く。
それだけで、見えてくる景色はだいぶ変わります。

第二に、気になるテーマが出てきたら、一歩だけ一次資料に近づいてみること
条約の原文、政府や自治体のデータ、WHO や国連の報告書など、
「元ネタ」に少しでも触れてみると、「解説」がどれだけ盛られているか、なんとなく感覚がつかめます。

第三に、情報を見るときは、
「誰が言っているか」と「何を根拠に言っているか」を分けて考えること
肩書きが立派でも中身がスカスカな場合もあれば、無名の研究者や現場の人の方がよほど具体的なことを言っている場合もあります。
逆に、嫌いな人物だからといって、言っている内容まで自動的に否定してしまうのも、立派なバイアスです。

第四に、不安と怒りの感情のままシェアしないこと
感情が強く動いたときほど、一度だけ深呼吸して、「これは本当に事実なのか?」「別の見方はないか?」を自分に問い直す。
このワンテンポが、フェイクニュースの拡散を止める最後の防波堤になります。

そして第五に、「自分の認識もズレているかもしれない」と疑う癖をつけること
心理学ではこれをメタ認知と呼びます。
自分の思考を一歩引いて眺める練習を続けると、
「これは、今の自分の政治観に都合が良すぎないか?」
「これは、相手を悪者にしすぎていないか?」
といったチェックが少しずつできるようになっていきます。

完璧な情報リテラシーなど存在しません。
ただ、この五つのルールを「ゆるく続ける」だけでも、
オールドメディアのおかしさと、ニューメディアの危うさ、その両方から少し距離を取ることができます。

「正解探し」よりも「問い続ける力」を

オールドメディアは、たしかにおかしくなっています。
スポンサーと官庁の顔色をうかがい、
自分たちが過去に流したストーリーを、なかなか検証しようとしない。
ウクライナ戦争でも、コロナでも、郵政民営化でも、原爆投下でも、
「本当はもっと議論すべきポイント」を避け続けてきた責任は小さくありません。

しかし同時に、ニューメディアの側にも、
視聴回数のために不安と怒りを煽る仕組みがあり、
そこに飲み込まれてしまえば、また別の形で操られてしまいます。

だからこそ、

「誰が正しいか」を早く決めようとするのをやめて、
「なぜこのように語られているのか」を考える側に回る

ことが大切になります。

今日あなたがニュースを見るとき、
「これは誰の立場から描かれた世界なのか?」と一度だけ問い直してみてください。
たぶん、同じニュース映像でも、昨日とは違う輪郭が見えてくるはずです。
世界が変わったのではなく、あなたの「見え方」が一段深くなったという意味で。

参考にした文献

日本におけるテレビ・新聞への信頼度の変化
 … 内閣府世論調査、ロイター・デジタルニュースレポート(日本のニュース信頼度の国際比較)。

NATO東方拡大と「一インチたりとも東へ動かない」発言をめぐる歴史論争
 … 1990年前後の米ソ会談記録、外交文書を扱った研究・解説。

ウクライナ危機の背景(NATO拡大、2014年の政変など)
 … 欧米・ロシア双方の視点を扱う国際政治研究。

新型コロナ起源に関するWHO報告・米情報機関の評価
 … WHO技術報告書、米政府の要約文書(自然起源/研究所事故仮説の評価)。

ジェフリー・サックスによるコロナ起源・研究資金の問題提起
 … サックスのインタビューや論考(武漢研究所との関係性に関する指摘)。

郵政民営化と日本郵政グループ資産規模
 … 郵政民営化の解説記事・政府資料、日本郵政の財務データ。

原爆投下の必要性・戦争終結要因に関する歴史研究
 … ポツダム宣言交渉や降伏交渉を扱う歴史学者の論文・解説。

2020年米大統領選と世論調査の予測と実際の結果のずれ
 … 選挙結果・出口調査・民間世論調査の比較分析。

フィルターバブル・エコーチェンバーの概念
 … Eli Pariser『Filter Bubble』ほか、アルゴリズムによる情報偏在の研究。

メタ認知・認知バイアス・システム1/2など心理学的背景
 … 行動経済学・認知心理学の解説書や総説。

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